| 司会 |
話の枕なんかに、よくことばを引いてその定義を述べたりすることがありますけれども、そういうときにしばしば辞書が引かれますね。実際昼寝の枕にもなるような大きな辞書など、引合いに出される辞書というのは、決まっているように思うのですけれども、そういう大辞典といいますか、大型の辞書の性格ないしは、大辞典たるべき属性みたいなものは、どんなものかというようなことから話を出していただけませんでしょうか。
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| 林 |
辞書というものはなにをするものか、ということからはじまるんでしょうな。学習辞典もあれば、それから卓上の小辞典もあれば、それから中辞典もあるし、大辞典もあるんだけど、下のほうから片づけていけば、けっきょく、字の形を見たり、それから意味を見当つければいいんでしょう。中辞典までは、だいたいそういうものじゃないんですかね。
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| 見坊 |
辞書の規模が大きくなるにつれて、そういう実用性というものはむしろ希薄になって、それ以外の科学的な性格というものが強くなってくると思うのですよね。だから、大型の辞書というのは、そういうふうな意味で非常に科学的な方針で編集されていなければいけないんじゃないかと思います。それで、大型の辞書というと、すぐわれわれは、たとえばウェブスターの大辞典とか、あるいはイギリスのオックスフォードの大辞典とか、そんなふうなものを考えるわけです。それから最近フランスから、フランス語大辞典……
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| 林 |
あれ、出たですか。
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| 見坊 |
ええ、出ました。なにかコンピュータを使って編集した、ものすごく大きな辞書もできてますけれども、みんな非常にはっきりした方針があって、その方針に基づいて統一的に編集されていると思うのですね。大辞典というものは、いちおう見かけのうえでは冊数が多いとか、それからページ数が非常に膨大であるとかいうふうなことであらわれてきますけれども、基本的には、非常に科学的な方針のもとに、一貫して編集したものだということが言えると思いますね。
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| 司会 |
科学的方針というものの具体的なあらわれということになりますと、どういうことですか。
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| 見坊 |
それはけっきょく、辞書というものは、実際に使われたことばの記録だろうと思うのです。そこが、小型のインチキな辞書になりますと、実際に使われたことばじゃなくて、前の辞書にこうあったから、うちの辞書でもこうしましたとかいうふうな傾向が、非常に強いと思うのですよ。しかし、辞書のもっとも基本的な性格は、現実にだれかが使ったことばを記録するというところから出発しなくちゃいけないと思いますので、編集の前に、まず用例の徹底的な採集ということがないといけないと思うのです。だから、これを徹底的にやろうというのが、最近の辞書の世界的な傾向だと思うのですけれども、そのために電子計算機を使って、用例採集をやったりしているわけです。とにかく用例の採集を徹底的に、広範にやって、そこから意味を帰納して、そうして辞書という形にまとめなくちゃいけないと、これが大辞典と呼ばれるためにいちばん大事な性格だと思います。
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| 初版完結編集委員会(1976) |
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| 林 |
作る側から言って、見坊さんのお話はそうなんですけれども、利用する側から言っては、さっき字を引く、それから意味をざっと知るということを言ったわけですけれども、それに対して、たとえばそのことばがいつから用いられているのかとか、その意味が変ってこなかったかというような、意味を詳しくする、用法を詳しくしたい。だけどもそれは、中辞典では満たされないから、やはり大きい辞典がほしいということになる。
それからもうひとつは、いま見坊さんがおっしゃったような、辞書を作るために用例が必要だ、意味の記述を正確にするために用例を集めることが必要だということと同時に、利用者の側にとっても用例を証拠に出してほしいわけです。だから、用例を伴った辞典ということは、どうしても中辞典とか、いわんや小辞典では満足できない。大辞典を引けば用例があって、しかもそれが時代的にいい用例が出してあるということが、辞書の利用者の側にとっては安心なことなんですよね。
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| 見坊 |
ことばについての詮索をやって証拠をあげたくなるとすぐ、辞書にはこう書いてあるというふうなわけなんですが、その辞書にはこう書いてあるというときの証拠としての価値ですね、これは大辞典ほど大きくなるわけです。たとえば、諸橋轍次さんの大漢和辞典。あれは十三冊もあって、重たくて、僕なんかとても使いきれないんですけれども、漢字の字義について講釈しようと思うと、まず諸橋さんでしょうね。どうもやはり大きくなると、実際にも価値があるんでしょうけれども、とにかく大きいことはいいことだというわけで(笑)、大漢和を引いてくるわけです。
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| 司会 |
まあ記述されてる内容が、語義なり解説なりがそこでとどまらないで、さらに実際の用例があるということで、自分で確かめられるという安心感があるわけですね。大辞典の場合は。
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| 林 |
それは、辞書編集者の責任があって、用例は非常に的確なものを引かなければいけないわけだけれども、僕はあれを孫引きにするようじゃ困るんでね。だから、あれは手がかりになるものだと思うんですよね。意味の記述にしても、用例にしても、利用者の手がかりになることができればいいんじゃないでしょうかね。ですから、一般の人にとってはそのことそのものが権威を持つわけですよ。
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