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「遊びをせんとや生まれけむ、戯れせんとや生まれけん、遊ぶ子どもの声聞けば、我が身さへこそ揺がるれ」(『梁塵秘抄』)と詠われたように、「遊び」は人間存在の根幹に関わる当為である。そしてホイジンガやカイヨワが考察したように、特にその自由と創造に関わる人間行動と深い関係がある。
俳句に詠まれてきた遊びとしては「凧」「独楽」「追羽子」「手毬」といった伝統的な子供の遊び、「摘草」「探梅」「花見」「盆踊」「茸狩」などの季節季節の行楽行事、その他の室内娯楽や興行物ということになるだろう。しかし俳句における遊びは、単なる題材としてだけの扱いではすまない。俳句が俳諧と呼ばれていた頃から、その文芸としてのあり方を強く特徴づけていた諧謔性は、洒落、もじり、掛詞、縁語などを駆使した「言葉の遊び」とも言えるからである。つまり俳句そのものが遊びでもある。俳句は散文的な目的行為から、言葉を解放する言語行為と定義することもできるのである。
竹馬やいろはにほへとちりぢりに 久保田万太郎
竹馬は、二本の竹や木の適当なところに足掛かりをつくり、これに乗って遊ぶもので、広く世界に見られる子供の遊び。日本におけるその名の由来は、江戸時代に「春駒」という玩具にもなった、葉のついた竹にまたがり、馬に見立てて走り廻る遊びがルーツの一つだからである。さかんに竹馬に興じていた子供たちが日が傾くとともに一人去り二人去りして、ちりぢりになってしまったというのが句意。いろは歌は直接、句意とは関係はないのだが、まことにうまくその雰囲気を伝える。いろは歌を俳句に詠み込んだ作品は「いろはにほへの字なりなる薄かな 宗因」から「「日本語はうれしやいろはにほへとち 阿部青鞋」「お浄土がそこにあかさたなすび咲く 橋關ホ」に至るまで、古来、数多くあるが、この万太郎の句は、太田道灌が武蔵国小机の戦でつくった「手習ひはまづ小机が初めなりいろはにほへとちりぢりにせん」というのが本歌だろう。また明治年間に広瀬中佐がつくった軍歌「今なるぞ節」に「いろはにほへとちりぢりに打破らむは今なるぞ」という一節もある。
家々の灯るあはれや雪達磨 渡辺水巴
昼間、久しぶりの雪にはしゃぐ子供たち。雪投げや雪達磨づくりで忙しかった彼等も夕暮とともに、家族の待つそれぞれの家に帰ってしまった。そのあとには、帰る家もない雪達磨ぽつんとが残されている。途方に暮れたような雪達磨の表情が想像されておかしい。
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まり唄や二百を越せば男めき 前田普羅
手毬は手毬唄を歌いながら、つく数を競う。初めの頃は少女らしくたおやかな歌いぶりだったが、二百を越えた頃から、なんだか男っぽく荒々しくなってきたというのである。それはそうだろう。疲れもたまってきただろうし、歌いぶりやなりふりに気を使っている余裕はもうないのである。手毬では高浜虚子の「手毬唄悲しきことをうつくしく」が名高い。
持ち寄りしもの炉話もその一つ 後藤夜半
秋や冬の夜長、特に外が雪の夜などは、炉辺に集まって夜話を楽しむ。炉話あるいは夜咄はいかにも冬らしい季語のひとつである。子供なら菓子などを、大人なら酒肴の類をそれぞれに持ち寄って集まるが、そこでする話自体も持ち寄ってきたもののひとつだというのである。句そのものが炉話になっているような興趣もある。
淋しさに摘む芹なれば籠に満たず 加倉井秋を
春の七草のひとつ芹は、田んぼの畦や湿地に自生し、根は白くやわらかで、茎の先にたくさんの葉をつける。根も葉も強い香気をはなち、和え物や吸い物によく使われる。なにか心に満たされぬものを抱えながら、ぼんやりと芹を摘んでいる。いつまでも籠が芹でいっぱいにならないのは、そのせいだというのである。ふたつの関わりのない事象を強い断定で結んで、あえかな詩情をかもし出す。三橋鷹女には「かなしびの満ちて風船舞ひあがる」という作品がある。
そら豆の尻か頭か口あそび 三橋敏雄
蚕豆の莢〈さや〉は直立して空に向かっているように見えるので「空豆」とも書く。その大きな豆は、煮豆、甘納豆、餡や味噌、醤油の原料にもなるが、塩茹でにして、そのまま酒のつまみなどにもされる。くびれのある特徴的なその形に着目した句。丸ごと口の中に放り込んで、これはお尻、あるいは頭の形かと楽しんでいるのである。そんな自分を自己戯画化する風もあり、かすかなエロチズムも伝える。
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