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道は人間の移動のためのものだから、すでに二足歩行を始めた時点から、準備されていたといえる。獣道というものもあるから、人類が動物としてのスタートをきった時点から、というのがより正確かもしれない。しかし「朝〈あした〉に道を聞けば、夕べに死すとも可なり」(『論語』)の「道」は、明らかにその道とは違う。人としての生き方、道理、真理といった意味に転じた道である。ここからは茶道、剣道、書道などの「道」を生んでいく。この道には、それぞれの技芸において、それを律する独自の法による自己鍛錬によって、より高い境地に達することができ、到達点よりもそれへ至る過程こそが大切だという考え方が基盤にある。身体的技芸だけでなく、たとえば和歌を「歌道」といったりする。それに対して、例外を省き、「俳道」という言い方は一般的ではない。ところがこの精神的な「道」を考えようとした時、まず挙げなければならないのは芭蕉である。俳諧を「風雅の道」へ高め、「只此一筋に繋がる」(『笈の小文』)決意を彼がしなければ、今日の俳句はないのだから、その意味は大きい。道は俳句にとって、人の時間的空間的移動が行なわれる場として重要なだけではないのである。
この道に寄る外はなき枯野哉 河東碧梧桐
明治39年34歳の時の句で、まだ新傾向俳句を唱える以前の作品。意志的で格調高く、ゆるぎない古格を保っているが、後の虚子と対立した孤高の歩みを予感させるような内容でもある。それはもちろん芭蕉の「此道や行く人なしに秋の暮」「旅に病んで夢は枯野をかけめぐる」が響いているからである。
よい道がよい建物へ、焼場です 種田山頭火
なんだか妙に立派な道が通っている。少し行くと、こんどは立派な建物が現れたと思ったら、なんと焼場だったというわけである。道はいろんな意外なところへも連れて行ってくれる。漂泊俳人 山頭火には道への深い思いのこもった作品が多い。「まっすぐな道でさみしい」「迷うた道でそのまま泊る」「わかれてきた道がまっすぐ」「しぐるるや道は一すぢ」「だれにも逢はない道がでこぼこ」「この道しかない春の雪ふる」等々。
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行く道のままに高きに登りけり 富安風生
現代俳句の最も保守的な部分を体現した俳人らしい屈託のないつくりだが、人為の虚しさというものをそこはかとなく伝える。「蜩やいつしか園の径ならず」という似た趣向の作品もある。
道に直ぐ寒廚ありてもの刻む 山口誓子
道に面してあまり距離をおかずにすぐ家が建っていて、その台所で野菜かなにかを刻んでいたというのである。道にじかに建っている家だから、きっと貧しい家なのだろう。後進国では路上で庶民の生活のすべてを目にすることができるというが、台所があるだけまだましである。一時代前の日本のどこにでもあった風景。
わが影や冬の夜道を面伏せて 嶋田青峰
青峰は新興俳句弾圧事件の犠牲者の一人。留置所で喀血。保釈後、そのまま病没した。「わが影」とあえて言っているところなどには、そんな数年後のわが身の悲境を予感しているようでもある。「芋虫の感触脳がむずがゆい」といった先駆的な作品も残しているが、もともとはホトトギスの出身で、虚子の信頼もあつかった。
峠路を行かばそのまま雪をんな 野澤節子
若くして脊椎カリエスにかかり、24年におよぶ療養生活を余儀なくされたという背景が重要である。つまり病床に縛りつけられ、行動の自由を奪われるところからくる動きへの渇望。たぎるようなその思いが、この句の底流に流れているように思う。「冬の日や臥して見あぐる琴の丈」「マラソンの余す白息働きたし」には、さらにそれが直接的に現れている。
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