|
明治以降、大正にかけての俳句で、肉親を詠んだものは案外に乏しい。私的なことを表に出すことを潔しとしない明治人の気概なのだろうか。遡って「父母のしきりにこひし雉の声」と両親へのひたぶるな思いを詠った芭蕉や、早世した実母への思いを動物の母親の姿に託して詠った一茶など江戸期の俳人たちは、それぞれに屈託なく肉親を詠んでいるように思う。リゴリズムの強い明治という時代には、父や母を率直に俳句の対象とする雰囲気がなかったのだろう。しかし近代的な個人主義がしだいに浸透してくると、親と子の対立、確執などが切実な課題となってきて、肉親をめぐっての俳句も増えていく。父親喪失、母親喪失といわれる現代は、やはり親子関係の希薄さをベースとした作品が目につくような気がする。
あはれ子の夜寒の床の引けば寄る 中村汀女
秋も深まり、夜の寒さもひとしおつのるある夜、寝についたのだが、わが子の床だけが、一人離れていることに気づき、気になってしようがない。思い切って引き寄せてみたら、思いのほかの軽さですっと引き寄せられたというのである。その果敢ないほどの軽さに「あはれ」としかいいようのない子への愛がこみ上げるのである。つとに名高い汀女一代の名吟。
母と寝て母を夢むる薮入かな 松瀬青々
薮入りは正月の季語になっているが、正月とお盆の十六日前後に行なわれた奉公人の一日だけの休みで、多くは実家に帰った。炭太祗に「やぶ入の寝るやひとりの親の側」という句があるが、久しぶりに帰った実家では思いっきり親に甘えられるのが何よりの楽しみだった。太祗の句では親の側で寝るだけだが、この青々の句では母親と寝ていても、さらになおかつその母の夢を見ているというのだ。奉公先で毎晩、見るのはきまって母親の夢。その習いが続いているのだ。この夢を山口誓子は「この世で最も贅沢な夢」と評している。
|
|
端居してたゞ居る父の恐ろしき 高野素十
縁側などで涼を味わっているのだから、この父親は充分にリラックスしているはずである。なのにそこにいるだけで、あいかわらず自分にとっては恐い存在。火事の次に恐いとされたこのような親父は、もはや絶滅してしまったようだ。
父となりしか蜥蜴〈とかげ〉とともに立ち止る 中村草田男
蜥蜴は走ってきたのが急に立ち止まって、まわりを見まわしたりすることがある。その行為に自分の心理状態を重ねたものだろう。実際に我が子誕生の知らせを受けて、道を歩いていた時の体験と考えなくてもいいと思う。自分の子が生まれたということは、父親になるということ。考えるまでもなのだが、それを自覚することはある種の心理的動揺をともなう。それが立ち止まる行為になったのである。
姉ゐねばおとなしき子やしやぼん玉 杉田久女
姉と妹の関係では、妹がわがままをいったり、周囲を困らせたりするのを、姉がたしなめるといった役回りを演じることが多い。性格的な面ももちろんあるだろうが、共犯関係ともいえるもので結ばれ、それぞれの役を演じている場合も多いのではないだろうか。お姉ちゃんがいなくて、なぜかいつもよりも静かな妹。彼女の頼りなげな心理状態が「しやぼん玉」にたくされている。
陰〈ほと〉もあらわに病む母見るも別れかな 荻原井泉水
陰は女陰、女性の隠しどころである。そこさえも隠そうとする意識を失ったあられもない母の姿を眼前にして、もはや避けようもない死別を覚悟するのである。脳溢血で倒れたその母は半身不随となり、4年後に亡くなる。あらゆるものから目を逸らそうとしない冷徹な俳人の目。
|