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金欲しき青とうがらしとうがらし 石橋辰之助
「金欲しき」と「青とうがらしとうがらし」を意味でつなごうとしても、無理である。そのこと自体が金銭欲というものの、あるいはお金がなければ生きていけない社会というものの不条理さを示していると解するしかない。それはとうがらしの辛さのように痛烈な真実なのである。辰之助は新興俳句運動で活躍し、山岳俳句というジャンルを切り開いたことで知られている。
土地を売った うつろのなかに とんでいる雀 吉岡禅寺洞
昭和恐慌の影響で、生糸の輸出が打撃を受け、繭は暴落。また米も暴落し、日本の農業の柱であった「米と繭」が危機的状況に陥っていたところへ、昭和6年には東北地方を中心に凶作となり、農家は疲弊し、土地を手放したり、娘の身売りなどがあいついだ。この句の「土地」もそんな農家が売ってしまった田畑だろう。禅寺洞は碧梧桐の新傾向俳句や新興俳句運動に参加し、戦後は口語、自由律俳句を唱え、多行形式を試みたり、つねに俳句の革新を推進した。
冷まじや金銭〈かね〉のこと祖父へさかのぼり
宮津昭彦
金銭の問題がこじれると、直接それに関係のない過去の出来事や人物が持ち出されてきたりする。お金の恨みは末代まで祟るのである。まさにそれは「冷まじ」としかいいようのないもの。秋の冷気のすごさ、淋しさ、心細さをいう「冷まじ」がつき過ぎといってよいほど、内容にマッチしている。
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敬老金もらひてひとりどぜう屋に 瀧春一
9月15日の敬老の日に祝い金をもらったのだろう。しかし、どう使ってよいか戸惑う。さしあたり泥鰌屋に来てみたというのだが、泥鰌屋をまず思いついたというのが、なんともはやおかしいし、また説得力もある。泥鰌屋に一人ぽつねんと座っている老人が目に浮かぶようだ。作者は演劇関係の仕事をしていたこともあってか、この辺の人情の機微を捉えるのがうまかった。
金貸してすこし日の経つ桃の花 長谷川双魚
あの人にお金を貸してからどれだけ経つだろうか。のんきにそう思うのだから、おそらく都合がついたら返してくれればいいよといった返済日などあまり気にしない借金なのだろう。その善意を確信させるのが「桃の花」である。彼はどうしただろうか、かすかな不安がないわけではないが、いや彼を信じようという作者の思いが「桃の花」なのである。
ただひとり吾より貧しき友なりき 金のことにて交〈まじわり〉絶てり 土屋文明
「或る友を思ふ」と題した連作の中の一首。自分も貧しいが、その友は自分よりもさらに貧しい。その彼とも、金銭の貸し借りのことで、やむなく絶交してしまったというのである。情け容赦のない金銭の力を、親しい友との間で思い知るという現実を、文明一流のリアリズムで冷徹に叙する。
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