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「法隆寺の茶店に憩ひて」と前書があるが、この鐘は実際には東大寺のもので、法隆寺としたのはあくまで子規の演出である。しかしこの演出は見事に決まった。あまりにも人口に膾炙してしまったので、今では凡庸とさえ感じさせる句だが、改めて冷静に読めばやはり非凡といわざるを得ない名句である。 |
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これらも同時につくられた句で、奈良や法隆寺と柿との取合せは、よほど本人も気に入ったらしい。「柿などというものは従来詩人にも歌よみにも見離されておるもので、殊に奈良に柿を配合するというような事は思いもよらなかった事である。余はこの新たらしい配合を見つけ出して非常に嬉しかった」(「御所柿を食いし事」)と書いているように、柿は用材や貴重な甘味として用途の多い木(や実)のわりには卑近なものと考えられ、和歌などに取り上げられることは稀だった。柿渋で染めた衣服は、身分の低い人々、社会の底辺に生きる人々によく着られたというのも、その反映だろう。そのような存在を俳句の対象になし得たことに手放しに子規は喜んでいるのである。そんな子規にとって、この古寺の鐘の音は俳句の神様からのご褒美の鐘の音のように聞こえたかもしれない。
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