上方落語に「田楽喰い」という話があります。皆で田楽を食うことになり、田楽はそう、味噌をつけたとかなんとか言うさかいな、ええ、げんを祝うて運がつくように「ん」まわし。んを一つ言うたらみな一本取って食べるのや。ということで始まり、
れんこん(蓮根)
にんじん(人参)・だいこん(大根)・なんきん(カボチャのこと)
みかん(蜜柑)・きんかん(金柑)、こっちゃ好かん
坊(ぼん)さん、ぼんのくぼに天花粉(てんかふん)
てんてん天満の天神さん
など、だんだん長いものになり、最後に、
先年神泉苑の門前の薬店、玄関番人間反面半身、金看板銀看板、金看板根本万金丹、銀看板根元反魂円、瓢箪看板、灸点
と言って四十三本請求します。(『米朝落語全集 第四巻』による)
東京落語では「寄合酒」でこれをやったのですが、六代目三遊円生によると、「現在皆演っている「寄合酒」は昔のとはかなり変わってきています。…それから、「ん廻し」のところ、あれも今はあまり演らなくなりました。」ということです。(『円生全集 別巻上』による)この「ん」を言って田楽を食うという話は、江戸初期の『きのふはけふの物語』(上)に、次の話があります。寺で稚児や法師が寄り合い、田楽をあぶり、「何にても、三つ撥(は)ねたること(ンを撥ね字と言います)を言ひて賞翫せう。」ということになり、
うんりんいん(雲林院)
なんばんじん(南蛮人)
せんさんびん(煎茶瓶)
しんせんねん(神泉苑)
など言って、一串ずつ取る。小稚児が、
こんげんたん(昆元丹)
という薬の名を言い、「焦げたる」の洒落でもあると言って二本取る。幼い僧は食うことができず、
ちゃんうんすん
と、茶臼に無理にンを付けて、十ばかりひったくった。
ほぼ同じ話が『戯言養気集』『醒睡笑』にも出ています。現代なら、アンパンマンとか、新幹線とかで田楽を食べられることになります。万治二年(1659)刊の『百物語』(上・四八)になると、「何にてもはね字を続けて、言ひ次第に幾串なりとも食ふべし。」となっていて、ンを三つではなくなります。そして、
なんばんもんめんさんだんはん
南蛮木綿三反半か。
せんあんきんへんもんあんはんきんかんまんきんたんゐんしん
金柑・万金丹以外は分かりません。
と長いものを言うようになります。最後はやはり、
はんねんつんるんべん 撥ね釣瓶
ちゃんうんすん 茶臼
と、無理にンを付けることになります。
こういう短い話が、三百余年の間に上方の落語家たちによって、「田楽食い」に磨き上げられたことになります。『百物語』以後の本に類話を見つけることができませんでした。笑話は短くて切れ味の良いものが優れているので、長いものはダレることになります。読む者にとっては、『きのふはけふの物語』のもののほうが、『百物語』のものより面白いのではないでしょうか。それに比べて、落語家がおかしい口ぶりで身振りを交えて語ると、長い話が興味深いものになります。『百物語』以後に類話が見つからなかったのは、そんな理由もあるのではないでしょうか。