すべてがそうであるわけではありませんが、隠語の中には、倒語のものがあります。
ネタは種、ドヤ街のドヤは宿、ダフ屋のダフは札、ショバ代のショバは場所です。家宅捜索をガサ入れと言いますが、ガサは、探すのサガを逆にしたものです。
この中では、ドヤが、明和六年に出た平賀源内の小説『根無草後編』(一)に、「閻魔のドヤが知れたれば」とあるなど、江戸中期から見えています。ネタも江戸後期の例があります。
酒を飲むときにパイイチと言うのはイッパイ(一杯)の倒語で、江戸後期から例があります。
情人などをぼかしてレコと言うことがあります。コレの倒語です。浄瑠璃『仮名手本忠臣蔵』(六)に、
今日から金で買い切った体、一日違へばレコづつ違ふ。
とあるなど、江戸時代には金銭を言うことが多かったようです。
レコが変化したレキと言う語もあります。文献の上ではこの方が古く、延宝五年(1677)刊の『もえくゐ』に、陰茎をレキとしている例が見られます。
同じようにぼかして言う語にレソというのもあります。近松門左衛門の浄瑠璃『冥土の飛脚』(上)に、馴染みの遊女について「や、レソが言伝てしたぞ。」と言うところがあります。
グリハマという語が室町時代の禅僧による漢文の講義録にいくつか見えます。
そちに無ければこちにも無いぞ。同じものの心ぞ。ハマグリグリハマの心ぞ。
玉塵抄・二六
人間のことは、仰(あふの)いつ俯(うつぶ)いつする間に、今日は明日の古へとなり、もうていて、同じものぞ。グリハマハマグリになるものぞ。
四河入海・二三−一
同じようであることを表す語です。ハマグリハマグリと続けて言っていると、いつの間にかグリハマになっている、逆のようでもたいした違いはないので言うと言われています。
江戸時代になると、近松門左衛門の浄瑠璃『曾我会稽山』(四)に、「言ふことなすこと、グリハマになり」とあるように、手順や結果が食い違うことを言うようになります。語源について、大槻文彦『大言海』には、「蛤ノ殻ノ両片ノ合口ハ、極メテ密接スルモノニテ、逆ニスレバ、合フコトナシ。」と説明してあります。
グリハマをグレハマとも言うようになります。上の二音を動詞として活用させたのがグレルです。滝亭鯉丈が式亭三馬の後を書き継いだ文政六年(1823)刊『浮世床』(三下)に、
いや、全体かたいお方でございましたが、どうしてまたグレさしったか。
とあるなど、江戸後期から見られます。
「ぐれん隊」も、このグレが語源でしょう。「愚連隊」と書くのは当て字です。
式亭三馬が文化十年(1813)刊の『浮世床』(初上)に、
しだらがないといふ事を「だらし」がない、「きせる」を「せるき」など言ふたぐひ、下俗の方言也。
と書いているように、「だらしない」のダラシは、シダラ(事の成り行き。好ましくない状態や行い)の倒語です。シダラは江戸前期から用例が見られますが、ダラシは、『浮世床』あたりが最古の例です。今日では、倒語のダラシのほうが普通になっています。
別の語をさかさにしたので、倒語であることが分かりにくいものもあります。
昭和四十年製作の高倉健主演の東映映画『網走番外地』の主題歌では、酒のことをキスと言っています。「好き」の倒語です。酒はだれもが好きなのでしょう。延享二年(1745)初演の浄瑠璃『夏祭浪花鑑』(一)の、「仲直りにしたみ(したたって溜まった酒)貰うてキスほやかう(飲もう)」など、江戸中期から見られます。
タバコをモクと言うのは、かつては煙がモクモク出るからと思っていましたが、雲の倒語であるそうです。煙を雲に見立てたのです。式亭三馬の洒落本『潮来婦誌』に「時にモクがかまらねえ(無い)」とあります。
こういう単語は、やくざとか犯罪者とかいう暗い感じがするからでしょうか、最近はあまり造られていないようですが、テレビのCMで、「メンゴ、メンゴ」(御免)というの聞きました。やはり根強く生き残っているようです。