ことば遊びではありませんが、お正月ですから百人一首の話をします。
百人一首は藤原定家が京都の西の小倉山の山荘で選んだと言われています。定家の子孫である冷泉家が今日まで連綿と和歌の家として続いていることからも知られるように、定家は中近世を通じて歌道の権威でした。百人一首はその定家の権威によって普及しました。ポルトガル人がカルタを伝えると、歌カルタが作られ、家庭に入り込みました。百人一首ほど広く知られた詞華集(アンソロジー)はないでしょう。
ここでは、江戸川柳で見た百人一首を扱います。
学生の時に、吉田精一先生が、「江戸川乱歩氏が川柳は推理文芸だと言っている。」とおっしゃったのを記憶しています。川柳の作者は思いがけないことを思いつき、ひねって表現しています。読者は、機知をはたらかせることで、その謎を解くことになります。
今回はクイズでも楽しむつもりでお付き合いください。
九十九は選み一首は考へる 柳多留・二一
謎を解くのには、一首とあるのだから歌、九十九と一で百首であることに目を着けると、百人一首であることが分かります。他の九十九首は選び、一首を考えて「来ぬ人をまつほの浦の…」(九七)と詠んだのは、選者の藤原定家です。(数字は百人一首での番号。以下同じ。)
来ぬ人を入れ百人に都合する 柳多留・三〇
という句もあります。
山荘で三千百字御選み 柳多留・一四六
三十一字の歌を百首選べば三千百字になります。
お選みの栞(しをり)にもなる紅葉なり
柳多留・二六
百人一首を選んだ山荘のある小倉山は、紅葉の名所です。
定まった家もあるのに山で書き 柳多留・一八
「定まった家」から、定家であることが分かります。
五十四は石山百は小倉山 柳多留・一四
五十四帖の源氏物語は、紫式部が琵琶湖畔の石山寺に参籠して書き始めたという伝説があり、今も石山寺の本堂の傍らに源氏の間という部屋があります。
六十は借り宅百は下屋敷 やない筥・初
源氏物語は五十四帖ですが、後人が加えた雲隠六帖を合わせて六十帖と言うことがあります。紫式部にとって、石山寺は自宅ではなく、言わば借家です。定家が選んだのも山荘ですから下屋敷です。