寛文六年(1666)に出た狂歌集『古今夷曲集』に、
前関白信尋公へ淀鯉奉るに添へて 昌俊
折よくは申させたまへ二つ文字
牛の角文字奉るなり 六三八
返し
魚の名のそれにはあらず暇の折ちと二つ文字牛の角文字
という唱和があります。近衛信尋は後陽成天皇の皇子、佐川田昌俊は歌道に達した武士。「二つ文字・牛の角文字」は、次に説明しますが、「こ・い」ということです。送った歌は、関白に直接に手紙を差し上げるのは失礼なので、側近の人に宛てるという形にして、「都合の良い時に申し上げてください。こい(鯉)をさしあげます」。関白からの返事は、「そちらの言う魚の名ではない、暇の折にこい(来い)」というのです。
これは『徒然草』(六二段)に、後嵯峨天皇の皇女である延政門院悦子(1259−1332)が、幼いときに父君の御所に参る人に言伝てして奉った次の歌を踏まえたものです。
二つ文字牛の角文字直ぐな文字ゆがみ文字とぞ君はおぼゆる
兼好は「恋しく思ひ参らせたまふとなり。」と説明しています。「二つ文字」は「こ」、「牛の角文字」は「い」、「直ぐな文字」は「し」、「ゆがみ文字」は「く」です。幼い皇女は、手習いで覚えた字の形を用いて謎の歌を詠んだのでしょう。
この話は江戸時代の人々に好まれたようです。井原西鶴は、
少し手を書くを種として、
所の手習ひ子ども預かり、
我がまま育ちの草を苅り、
野飼ひの牛の角文字より教へけるに
西鶴織留・一・二
と、田舎の寺子屋で「い」から手習いを教えたことを書いていますし、近松門左衛門は、
同じ思ひをうち乗せて、
草刈る籠の二つ文字、
牛の角文字すぐな文字、
綱手刈り手の千草原、
招く薄を呼ぶかとて 信州川中島合戦・四
と、元の歌と同じく「恋し」に用いています。
狂歌の例を見ます。
寛文十二年の『後撰夷曲集』のもの。
タバコのむキセルのラウは
すぐな文字ゆがみ文字とぞ見ゆる雁首
正信(一〇一二)
すぐな文字は「し」、ゆがみ文字は「く」ですが、手元がまっすぐで先の雁首が折れているキセルの形を言ったものでしょう。
享保六年(1721)に編まれた藤本由己の『続春駒狂歌集』のもの。
丑の年亥の元日なりけれ[ば]
元日は牛の角文字尽きぬ世のすぐなる文字の御代ぞめでたき 二六
丑年の元日が亥の日だから「牛の角文字」、「すぐなる文字」で、まっすぐな世の中と、泰平の世を祝っています。
栗柯亭木端の享保二十一年刊『狂歌ますかがみ』のもの。
世の中は牛の角文字いなものでゆがみ文字こそ絶ゆるひまなき 二二二
「牛の角文字」を「い」の序詞としています。ゆがみ文字は「く(苦)」です。
江戸狂歌を代表する大田南畝(四方赤良。蜀山人)にこれを用いて詠んだものがいくつかあります。
天明三年(1783)刊『狂歌若葉集』のもの。
布袋和尚牛に乗りて唐子のひきて行く画に
寺子ども引きたる牛の角文字はいろはにほてい和尚なるかな
子供が引いている牛−牛の角文字−いろはにほ−布袋和尚と続けて、寺子屋の子供がいろはを習うことを詠んでいます。
南畝の編んだ天明五年刊『徳和歌後万載集』(雑上)に、自分の
二つ文字牛の御前の向島太郎が鯉は生けの中田屋
四方赤良
という一首を入れています。中田屋は隅田川の東岸にある牛島神社(俗称、牛の御前)の近くにあった川魚で有名な料理屋、主人は葛西太郎というあだ名でした。「二つ文字」を「牛」の枕詞のように用いています。
『徳和歌後万載集』(釈教)には、
無筆誦経
角文字も書くことならで般若経読むのはうはの空覚えなり 堂伴白主
いの字も書けないで般若経を読むのは上の空のそら覚えである。
というのも載っています。
南畝の狂歌・狂詩・狂文を集めた『千紅万紫』にもいくつかあります。
鯉の画に
六々の鱗(いろこ)の数を数へみんひとふたつ文字牛の角文字
三十六枚あるという鯉の鱗を数えてみよう、一つ二つ。そこから「二つ文字」と移って行き、題にあるとおり、「こい(鯉)」になります。
海老の画に
角文字の伊勢海老を見て二つ文字すぐなる文字の腰折れの歌
「角文字の」は「い」の枕詞、「二つ文字すぐなる文字の」は「こし」の序詞として用いています。
銭屋金埒のもとより
二つ文字牛の角文字二つ文字ゆがみ文字にて飲むべかりける
返し あとの三文字を足して
すぐな文字帯結び文字お客文字字は読めずとも飲むべかりける
こいこくしやうといふことなるべし。
友人の金埒が、「こいこく(鯉濃)」で飲もうと言ってきたので、南畝は、「こいこく」というのは鯉の濃漿(こくしやう)の略だから「しやう」と付けたが、「帯結び文字お客文字」は即席の謎だから、読めないかもしれない、でも、さしあたり飲もうと返事したのです。
南畝は新しい「…文字」を作りました。「帯結び文字」が「や」であるのは、帯の結びかたに「やの字」というのがあるから、「お客文字」が「う」であるのは、香道で「客」を省筆してウと書く(嬉遊笑覧・一〇下)からでしょうか。
志賀理斎が天保九年(1834)に出した随筆『理斎随筆』(一)に、
二つ文字牛の角文字直ぐな文字昔の人の恋しきやなぞ
という狂歌があります。「こいし(恋し)」となります。もとになる延政門院の歌と同じであまりはたらきがありませんが、著者としては、自分の古いことを好む趣味を言いたかったのでしょう。