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第13 回 万葉集の戯書  
中国文化の知識

掛け算九九も樗蒲も中国からもたらされたものでした。「三五夜(もちづき)」、「牛鳴(む)」も、中国文学の影響でしょう。また、

色に山上復有山ば(九・一七八七)

山の上にまた山があるという字は「出(イデ)」です。これは「漢字の分解」のところに記したように、中国の『玉台新詠』に同じ例がありました。

他にも中国文化を踏まえる戯書があります。

我が定め義之(三・三九四)
結び大王(七・一三二一)

「義之」「大王」をテシ(…てしまった)と読みます。その根拠を明快に説明したのは、本居宣長です。義之は之の誤りで、四世紀の中国の書家の王之のこと。書家だから手師(てし)。之の子の王献之も有名な書家だったので、父を大王、子を小王と区別したから、「大王」も之のことで、同じくテシと読むというのです(万葉集玉の小琴)。

恋ひわたる青頭鶏(一二・三〇一七)

「青頭鶏」は詠嘆の終助詞のカモです。中国の文献に「青頭鶏者鴨也(青頭鶏は鴨なり)」と記したものがあります。

ちなみに、中国からのものではありませんが、

相見鶴鴨[アヒミツルカモ](一・八一)

では「…てしまったなぁ」の意の「つる−かも」を鳥を表す字で書いています。同じような書きかたですが、春登は借訓に分類しています。

向南山(二・一六一)

南に向かうのは北なので、キタヤマと読みます。

毛無の岡(八・一四六六)

古くからナラシと読んでいて、徳川光圀から『万葉集』の注釈を依頼された契沖は、漢籍を引用して、「不毛」の「毛」には草などの意があり、『日本書紀』(崇神天皇十年)に、「草木をふみならしたので、その山をナラ山という」とあるから、これもふみナラシて草などがないということでナラシと読むと説明しました(万葉代匠記)。そうだとすれば、これも中国文学の知識による表記となります。しかし、昭和三十年ころから、字のままにケナシと読む説が採用されるようになっています。

研究が進んだ結果、消えてしまった例もあります。
「恋水」(四・六二七、六二八)を、かつてはナミダ(春登は義訓とする)と読んでいたのですが、昭和初期から、「変水」が正しいとしてヲチミヅ(若返りの水)と読むようになりました。それが正しいのでしょうが、「恋水」が涙というシャレたものが無くなったのは惜しいような気がします。

第13 回 万葉集の戯書  
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