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名歌のパロディ
2003年5月26日公開

一字変えた歌

太閤秀吉の前に、炒り豆に青海苔をつけた菓子が出た時に、その場に居合わせた細川幽斎が求められて、

君が代は千代に八千代に
さざれ石の巖となりて苔のむす豆

と詠んだという話が、寛永五年(1628)成立の笑話集『醒睡笑』(八)にあります。

元の歌は『古今集』賀の部の巻頭(三四三)に初五「我が君は」で出ていますが、平安後期にはすでに「君が代は」の形で知られていました。いずれにせよ、主君の長寿を祈る歌です。幽斎のほうは、さざれ石(小石)のような豆に苔むしたように青海苔が付いているで、一字を変えることで豆を主題とした歌になり、しかも元の歌によって秀吉の長寿を祈る祝賀の心もあることになります。

細川幽斎は、足利氏、織田氏、豊臣氏、徳川氏と権力者の移り変わった時代に、室町時代から続く家系の権威を為政者に認めさせながら生き抜いた大名で、しかも当時の歌道の最高権威です。いくつもある秀吉の前での歌にまつわる逸話は、事実かどうかは分かりませんが、学識と機知とによって、気まずい場をうまくとりつくろう話が多い。江戸初期には、幽斎はそういうことのできる人物と見られていました。

文政二年(1819)ころに出た手柄岡持の狂歌集『我おもしろ』に、

桜花散りかひ曇れ
おいらんの来むと言ふなる道紛ふがに

という狂歌があります。元の歌は在原業平が藤原基経の四十の賀に詠んだ、

桜花散りかひ曇れ
老いらくの来むと言ふなる道紛ふがに

(古今集・賀・三四九)
桜花よ、散り乱れて曇れ。老いが来るという道が紛れるように。

を一字だけ換えたものです。詞書には、上の十五字と下の十五字はそのままで中の一字だけを換えたとあります。本歌は、老いが来ないようにということですが、狂歌のほうは、おいらんが来なくては困りますから、春に桜を移植した吉原遊廓の華やかさを詠んだものでしょう。

『十訓抄』(一)に、流罪を許されて京都に戻った藤原成範(しげのり。1135−87)が、内裏である女房から、

雲の上はありし昔に変はらねど
見し玉垂れの内やゆかしき

宮中は昔と変わっていないが、以前に見た御所の中が知りたいか。

という歌を詠みかけられて、「や」を消して「ぞ」と書き直したという話があります。疑問の「や」を強調の「ぞ」に変えて、「知りたいか」の問いに「知りたい」と答えたのです。

この逸話は、世阿弥作かという謡曲『鸚鵡(おうむ)小町』では、老いて落ちぶれた小野小町のところに帝の使者が来てこの歌を伝え、小町が「ぞ」に変えただけの鸚鵡返しで返歌するとなっていて、以後は小町の話として知られています。

明智光秀の臣である熊谷宅右衛門広政が、七月三日に、明智の知人の味方をするために、阿木彌市とともに七八騎で駆けつけたところ、敵は加勢が雲霞のごとくに来ると聞き付けてさんざんに逃げたので、途中まで迎えに来た使者に、

阿木来ぬと目にはさやかに見えねども
加勢の音に驚かれぬる

と詠んだという話が、新井白石の『白石先生紳書』(二)にあります。

もとの歌は、

秋来ぬと目にはさやかに見えねども
風の音にぞ驚かれぬる

(古今集・秋上・一六九、藤原敏行)
秋が来たと目にははっきりとは見えないが、風の音で気づいたことだ。

七月三日という秋の初めのことなので、元の歌がいっそう生きることになります。

寛文十二年(1672)刊の『狂歌咄』(一)に、酒の席で古歌であっても当座の作であっても、一首を連ねようということになり、

年たけてまた飲むべしと思ひきや
命なりけり佐夜の中椀

紅葉せぬ常盤の山に住む鹿は
おのれ鳴きてや秋をしる椀

年の内に春は来にけり一年を
去年とや飯椀(いひわん)今年とや飯椀

と詠む話があります。それぞれ有名な次の歌によったものです。

年たけてまた越ゆべしと思ひきや
命なりけり佐夜の中山

西行(新古今集・羇旅・九八七)
年老いてまた越えることがあるだろうと以前に思ったろうか。命があってのことである、今ふたたびこの佐夜の中山を越えるのは。

紅葉せぬ常盤の山に住む鹿は
おのれ鳴きてや秋を知るらむ

大中臣能宣(拾遺集・秋・一九〇)
紅葉しない常緑という意味の名の常盤山に住む鹿は、秋を知らせるものがないから、自分から鳴いて秋を知るのであろう。

年の内に春は来にけり一年を
去年とや言はむ今年とや言はむ

在原元方(古今集・春上・一)
旧年の内に立春になってしまった。この一年を去年と言おうか今年と言おうか。

狂歌のほうは、一音節変えたのではないし、一つの語を酒を飲む「椀」にしただけで、さほど面白くもありませんが、三首もあるのであげてみました。

近代には、内田百「お前ではなし」(『無伴奏』〈昭和二八年〉所収)に、

玄關外の呼びりんのお臍のついてゐる柱に貼り紙をした。

蜀山人
世の中に人の来るこそうるさけれとはいふもののお前ではなし

亭 主
世の中に人の来るこそうれしけれとはいふもののお前ではなし

大分前にその小さな紙片を盗まれた。だから又新らしく書いて出したが、手癖の悪いのがお立ち寄りになっては、どうにもならない。

とあります。これも変えたのは一字ではなく二字ですが、内田百にふさわしい皮肉な話なので、紹介しました。ただし、蜀山人(大田南畝)のすべての狂歌を調べたわけではありませんが、元の歌は蜀山人の詠みぶりではないようです。幕末ころから、蜀山人を主人公とする狂歌を伴う頓知話、滑稽話が作られ始め、明治以後ブームになります。これもその一つなのでしょう。

第11 回 名歌のパロディ  
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