明治三十六年に、黒岩涙香の主宰する新聞『万朝報(よろずちょうほう)』で「国音の歌」としてンを入れた四十八字の歌を懸賞募集し、七月十五日にベスト二十を発表しました。
その第一位は、埼玉の坂本百次郎というかたの次の作でした。
とり(鳥)な(啼)くこゑ(声)す、ゆめ(夢)さ(覚)ませ、み(見)よあ(明)けわた(渡)る、ひんがし(東)を、そら(空)いろ(色)は(栄)えておき(沖)つべ(辺)に、ほふね(帆船)む(群)れゐぬ、もや(靄)のうち(中)
爽快な朝の景を詠んで、一字を一度ずつという制限を感じさせない名作です。仮名遣いの
誤りもありません。ちなみに、第二位は、東京の堀幸というかたの、
ゐ(堰)せ(塞)きいね(稲)う(植)ゑ、か(刈)りをさ(収)む、お(負)ふほ(穂)もそろ(揃)ひ、つち(土)こ(肥)えぬ、まれ(稀)にみ(見)るゆめ(夢)、やす(安)らけく、あな(嗚呼)たの(楽)しよ(世)と、わ(我)はへ(経)てんというもの、
第一位に比べると遜色があるものの、豊かな農村生活を描いて、優れた作と言えるでしょう。
これ以後、万朝報社では、いろは順に代わってとりな順を励行したと言われています。
昭和二十七、八年の『週刊朝日』に、昭和四十三年から断続的に『週刊読売』に、それぞれ「新いろは歌」という投書欄があったと記憶しています。