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百人一首のパロディ
2002年12月24日公開
本歌取り

お正月ですから、百人一首を用いたことば遊びを扱うことにします。

初めにおわび。元になる百人一首の歌を引用しないと分かりにくいのですが、叙述が繁雑になるのを嫌って、省いたところがあります。ご了承ください。

ことば遊びの傾向が強い初期の俳諧に、古歌の一部を取り入れて詠んだ句があります。万治三年(1660)に出た松江重頼編の句集『懐子』は、そういう句を集めているので、この本から百人一首を踏まえる句を引きます。

春過ぎて棗(なつめ)に入れし新茶かな 貞徳
(棗は抹茶の入れ物)
春過ぎて夏来に芥子(けし)の花見かな 慶友
春過ぎて懐(なつ)きにけらし雀の子 (無記名)
春鋤(す)きて夏着にけらし田植笠 貞伸

以上、「春過ぎて夏来にけらし白妙の衣干すてふ天の香具山」による。

ちぎりきな互(かたみ)に搗きし蓬餅 之政
ちぎりきな筐(かたみ)に袖に小姫瓜 (無記名)
(筐は籠(かご))
踊り浴衣互に袖や絞り染 玖也

以上、「契りきな互に袖を絞りつつ末の松山波越さじとは」による。

ちなみに、江戸後期の俳人大江丸に、

ちぎりきなかたみに渋き柿二つ (はいかい袋)

という有名な句がありますが、すでに上の二句で「契り」を「千切り」にしています。

立ち別れ稲葉に来るな虫送り 重安
虫送りは田畑の害虫を村外れまで送り出す行事
立ち別れ稲葉のやんま返せ野馬 弘永
因幡の住人に 立ち別れ往(い)なせぬ雪や峰に松
貞徳
松海苔や今帰り来む浦の波 茂下
(松海苔は海藻の名)

以上、「立ち別れ因幡の山の峰に生ふる松とし聞かば今帰り来む」による。

夜をこめて立つやは空音酉の年 重長
息をこめて鳥の空音や雲雀笛 定時
(雲雀笛はヒバリを捕るのに吹く笛)
夜をこめて鴟(とび)の空音や神楽笛 忠由
(神楽の笛がトビの鳴き声に似る)

以上、「夜をこめて鳥の空音ははかるとも世に逢坂の関は許さじ」による。

三笠山に出でし月かも奈良団扇(うちは) 重方
とっくりを振り酒見れば霰かな 可休
(麹が浮いている霰酒は奈良特産)

以上、「天の原ふりさけ見れば春日なる三笠の山に出でし月かも」による。

今来んと言ひしは雁(かり)の料理かな 一幽

「今来むと言ひしばかりに長月の有明の月を待ち出でつるかな」の「ばかりに」を「は雁の」と清音に変えた。作者は談林派の総帥の西山宗因。

このたびはぬたに取り和(あ)へよ紅葉鮒 (無記名)

「このたびは幣(ぬさ)も取り敢へず手向山紅葉の錦神のまにまに」のぬさをぬた(酢味噌和え)に、紅葉を紅葉鮒に変えた。作者は編者の重頼。

芭蕉のまだ独自の風を確立しない貞門風の時代の句にも、

うかれける人や初瀬の山桜 (続山の井)

という、「憂かりける人を初瀬の山颪激しかれとは祈らぬものを」を踏まえた句があります。

古歌の語句を取り入れて歌を詠むことを本歌取りと言います(これまでの俳諧の例も本歌取りです)。一部を取り入れることで古歌の全体を匂わせ、歌の内容を複雑にする技巧です。

契りきなかたみに袖を絞りつつ末の松山波越さじとは
約束したね、互いに袖を絞るほど涙を流しながら、末の松山を波が越さないだろうと。

この歌は、

君をおきてあだし心を我が持たば末の松山波も越えなむ (続山の井)(古今集・東歌・一〇九三)
あなたを差し置いて浮気心をわたくしがもし持ったら、末の松山を波が越えるというあり得ないことが起こってしまうだろう。

を本歌に取ったものです。本歌では、末の松山を波が越さないとは、浮気心を持たないことになります。それを踏まえて詠んだ「契りきな」は、堅く約束したのに、あなたは…、と心変わりした恋人を恨む歌です。

連歌での本歌取りも歌の場合と同じです。

波越さぬ契りや幾代天の川 宗祇(下草)

「契りきな」の歌を踏まえて、牽牛と織女の永遠の愛を詠んでいます。

俳諧は滑稽を意図するものですから、本歌取りは、本歌を意識させながらできるだけ離れ、懸詞で王朝の雅びを卑俗な庶民生活に転じ、その落差から生ずる笑いをねらいます。

狂歌でも同じことが言えます。近世初期のものを引きます。

今はただ重湯も食べぬとばかりをお目にかかりて言ふよしもがな 重頼(古今夷歌集・恋)
春過ぎて夏来にけらし綿抜きの衣干すてふ汗のかきそめ 喜雲(後撰夷歌集・夏)

百首全部にわたってもじった狂歌も、

あきれたのかれこれ囲碁の友を集め我がだまし手はつひに知れつつを 鈍智てんほう(コレガ作者名デス)

を初めとする、寛文九年(1669)刊の『犬百人一首』など、いろいろあります。

享保(1716−36)ころの上方狂歌を代表する油煙斎貞柳にも、『犬百人一首』があり(元文五年刊『狂歌活玉集』所収)があり、天明の江戸狂歌の第一人者である太田南畝にも『狂歌百人一首』(天保十四年刊)があります。

同じ歌を踏まえて双方とも面白そうな例を引きます。

たれをかも知る人にせん死出の山鬼も昔の友ならなくに (貞柳)
たれをかも仲人にして高砂の尉(じょう)と姥(うば)とは仲良かるらん (南畝)

第6回「百人一首のパロディ」  
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