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『拾遺集』には物名の歌が七十八首載っていますが、その内の三十七首は「茎も葉も」の作者の藤原輔相(すけみ)の作です。輔相の家集『藤六集』は三十九首の小さな歌集ですが、ほとんどの歌が物名という異色あるものです。物名の専門家だったのでしょう。
『藤六集』に、
【胡桃(くるみ)】
雁の来る峰の朝霧晴れずのみ
思ひ尽きせぬ世の中の憂さ(二七)
雁の来る峰の朝霧が晴れない、そのように心が晴れないでばかり思いの尽きないこの世の中がつらいことだ。
という歌があります。この歌は『古今集』(雑下・九三五)に、題知らず、詠み人知らずとして載っています。『古今集』の選者たちは、これを物名とは思わなかったのでしょう。短いものを隠すと、目立たないので物名とは分からないことがあります。
物名の部に入っていないけれど物名である歌は他にもあります。
常陸へまかりける時に藤原公利(きみとし)に詠みてつかはしける
朝なけに見べき君とし頼まねば
思ひたちぬる草枕なり(古今集・離別・三七六。寵)
朝も昼も見ることのできる君とは頼まないから思い立った旅なのだ。
この歌には、「君とし」に相手の公利という名が、「思ひ立ちぬる」に行く先の常陸が隠してあります。この作者名「寵」については、「内蔵(くら)」の草書体からの誤写であるという説もあり、これに従えば、「草枕」に自分の名の内蔵も隠してあることになります。
このようにいくつもの語を隠すこともあります。『古今集』の物名の部には、
【笹・松・枇杷・芭蕉葉】
いささめに時待つ間にぞ日は経ぬる
心ばせをば人に見えつつ(四五四。紀乳母)
一時的に会う時期を待つ間に日は経ってしまった。自分の気持ちはあなたに見せながら
という、いササめに、時マツ、ヒハ、心バセヲバ、と植物を四つ詠み込んだものがあります。
『拾遺集』には、
【子・丑・寅・卯・辰・巳】
一夜寝て憂しとらこそは思ひけめ
浮き名立つ身ぞわびしかりける(四二九。詠み人知らず)
(一夜共寝してわたしを不満に思ったようだ。浮名が立つ我が身はわびしいことだ。ネて、ウシトラ、ウき名タツミぞ、と詠み込んであります)
【午(むま)・未・申・酉・戌・亥】
生(む)まれより櫃し作れば山に去る
一人往(い)ぬるに人率(ゐ)ていませ(四三〇。詠み人知らず)
生まれた時から櫃を作っているので山に去って行く。一人で行くのに人を連れていらっしゃい。(ムマれ、ヒツシ作れば、サル、ひトリ、イヌる、ヰて、と詠み込んであります)
という、十二支を詠み込んだ二首が並んでいます。よく詠み込んでいますが、あまり内容のあるものとは言えないようです。
なお、十二支全部を一首に詠み込んだ歌が、江戸時代の国学者荷田春満(かだのあずままろ)にあります( 筆話=さざなみひつわ)。
尋ねとひ辻に往(い)ぬる道は悟り得(う)とも
生まれ居る世を悟らざる憂し
問い尋ねて辻に行く道は悟ることができても、生まれているこの世を悟らないのはつらい。
「タツ・ネとヒツジにイヌるミちはさトリ・ウともウマれヰるよをさトラ・サル・ウシ」と読み込んでいますが、かなり苦しかったようで、妙な字余りが目立ちます。太田南畝の『狂歌百人一首』に、百人一首の喜撰法師の歌をもじった、
我が庵は都の辰巳午未申酉戌亥子丑寅宇治
という歌は、十二支を全部順に詠みこんでいますが、これは隠し題とは言えません。
物名の題には、これまで見たように、普通の歌に見られないような珍しいものが多く用いられます。『枕草子』(能因本・六九)に、
歌の題は 都、葛、三稜草(みくり)、駒、霰、笹、つぼすみれ、日陰、菰(こも)、高瀬、鴛鴦(をし)、浅茅、柴、青葛(あをつづら)、梨、棗(なつめ)、朝顔。(三巻本は「霰」まで)
と、変わったものを挙げてあるのは、北村季吟の注釈『枕草子春曙抄』に、普通の題だけでなく、隠し題に詠む物と見えるとしているのが妥当でしょう。
時代が下ると、さらに手の込んだ歌が見られるようになります。
貞治三年(1364)成立の十九番目の勅撰和歌集『後拾遺集』に、
二条院の御時、左巻きの藤・桐火桶・をこめて、川に寄せて歌奉るべきよし仰せありければ、自らの名を添へて詠みはべりける
水浸り牧の渕々落ちたぎり氷魚(ひを)
今朝いかに寄りまさるらむ(物名・一九〇〇。源頼政)
水に浸る牧のいくつもの渕では水が落ちて激しく流れ、鮎の稚魚である氷魚はどんなに多く寄っているだろうか。
という歌があります。「水ヒタリマキノフチ落ちたキリヒヲケさ……ヨリマサるらむ」と隠してあります。「左巻きの藤」という長い語を入れ、その外に二語、それも自分の隠しています。『源平盛衰記』(十六・三位入道歌事)には、この歌は、「宇治川・藤鞭(ふぢぶち)・桐火桶・頼政」を題で、上の句が、「宇治川の瀬々の渕々落ちたぎり」となっていますが、物名の歌としては、「水浸り」のほうが長い語を読み込んでいるだけ勝っているでしょう。
南北朝時代の代表的な歌人である頓阿の『続草庵集』(四)には、物名の歌が二十三首載
っています。
【笙(しやう)・笛・篳篥(ひちりき)・琴・琵琶】
憂しや憂し花匂ふ枝(え)に風通ひ
散り来て人の言訪(ことと)ひはせず(五二一)
つらいことだ。花が咲き匂う枝に風が通い、散って来ても人は訪ねてこない。
「うシヤウし」「にほフエに」「かよヒチリキて」「コトとヒハせず」と隠してあります。すべて楽器の名、しかもシヤウ・ヒチリキ・ビハなどの字音語を詠み込んで、歌の意味にさほどの無理もありません。
【草名十】
朝凪に鱸(すずき)釣りにや淡路潟
波なき沖に船も出づらん(五二二)
朝凪に鱸を釣りに淡路潟の波のない沖に船は出ているのだろうか。
「アサ(麻)ナ(菜)ぎにススキ(薄)つりにやアハ(粟)チ(茅)がたなみナキ(水葱《なぎ》)オキ(荻〈おぎ〉)にふねモ(藻)イ(藺)づラン(蘭)」と、草の名が十隠してあります。
北朝第一代の天皇である光厳院(1313-64)の『花園院御集』の巻末に、
【紅葉の賀】
織り乱れ四方の山辺に雲もみち
野風激しき雨になる暮れ(一六一)
織り乱れたように四方の山辺に雲も満ちてきて野風が激しい雨になりそうな夕暮れ。
をはじめ、「蛍・藤袴・竹河・宿木」を物名にした歌が載っています。いずれも『源氏物語』の巻名です。もし五十四首揃っていたら壮観だったと思います。
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