四辻善成が貞治(1362−68)の初めころに著した『源氏物語』の注釈『河海抄』の、「硯には書き付けざなりとて」(橋姫)という箇所の注に、
見る石の面に物は書かざりき
ふしのやうしはつかはざらめや
という歌が載っています。「見る石」は硯です(下の句はよく分かりません)。この歌はよく知られていたようで、三条西実隆(1455−1537)に、
墨筆をさぞあだものと見る石の
おのれ静かに世を尽くしつつ(雪玉集・二五八七)
墨や筆をきっとはかないものと見て硯は自分だけ静かに一生を過ごしていて。
松永貞徳(1571−1653)に、
書き尽くす思ひならねば見る石の
面に向きて音をのみぞ泣く(逍遊集・二三一八)
書き尽くせる思いではないから硯の面に向かって声をあげて泣く。
など、これを踏まえた歌があります。
江戸末期の喜多村信節の百科事典のような随筆『嬉遊笑覧』によると、康応元年(1389)に信州の円一という僧が著した『瑣玉集』という本には、「天一大、日月明、卉木
、日者暑、月良朗、弗人佛(仏)、茲心慈」というようなことが書いてあるそうです。残念ながらこの本は『国書総目録』に登録されていません。
文安三年(1446)成立の『
嚢鈔(あいのうしょう)』(一四)という本に、伝教大師が日吉の地主の神に名を尋ねたところ、「竪の三点に横の一点を加へ、横の三点に竪の一点を添ふ」と答えので、山王と称することになったという話が載っています。前半が山、後半が王です。
正倉院の蘭奢待という有名な香木について、天文十七年(1548)成立の辞書『運歩色葉集』に、この三字は東大寺の字を隠しているとあります。
永正十三年(1516)、即位前の後奈良天皇の編集という『なぞだて』は当時のなぞなぞを集めた本です。その中に、漢字を分解した謎がいくつもあります。
廿人木にのぼる(答)茶
戀には心もことばも無し(答)糸
旧字体の絲が正しいはずですが、原本は糸になっています。
紅の糸腐りて虫となる (答)虹
紫の上の隠れしみぎりに源氏のあとをとどめしはいかに(答)紙
「みぎり」は砌でその時の意ですが、それを右の意にして解くようになっています。
山を払ふ嵐に虫は去って鳥来たる(答)鳳
この第一のものと同じような題の本があります。寛永三年(1626)に出た『艸人木』という茶道の本です。
本の題名をもう一つ。寛文七年(1667)に、酒の飲みくらべのことを書いた『水鳥記』という仮名草子が出ました。鳥を酉にして二字を合わせると酒になります。寛永十年(1633)に出た近世最初の俳諧集『犬子集』の、
癸酉(みづのととり)の年に
みづのとの酉をまづ酌む今年かな(重頼)
という句も、酒を酌むということです(「みづノト」のノトが邪魔ですが)。
正保二年(1645)刊の俳書『毛吹草』に、「文字」という句作りの例として、
いざ飲まん木に巵(さかづき)の花の陰
夏は木に鳴く虫までや単(ひとへもの)
冬ながら木へんに春の花見かな
などが挙げてあります。第一は梔(くちなし)、第二は榎と蝉、第三は椿です。
池田正式(?−1672?)の『堀川百首題狂歌合』に、「蘭」の題で、
草葺きに門を構へて西側の向かひに秋の花ぞかをれる(八三)
という一首があります。西側の向かいは東、草(艸)・門・東を合わせると蘭になりますから、この香っている花は蘭ということになります。蘭のことは、後に記しますが、中国にもあります。
芭蕉の『奥の細道』の須賀川の条に、
栗といふ字は西の木と書きて、西方浄土に便りありと、行基菩薩の一生杖にも柱にもこの木を用ゐたまふとかや。
という一節があります。行基のことを書いたものには見えないので、浄土宗系の人などが言い出したものかと言われています。
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| 吾唯知足(著者撮影) |
京都の龍安寺にあるつくばいは、いつからあるものか知りませんが、丸の真ん中に四角の穴が空けてあり、右の写真(近所のお寺のレプリカで代用しました)のようなデザインです。銭のようですが、中央の口の部分を上下左右に付けて、「吾唯知足(吾(われ)唯(ただ)足るを知る)」と読みます。この箇所については、北陸のある食堂で、この「隹」を「未」にしたマークを見ました。「吾味を知れば足る」とでも読むのでしょうか。ご主人の話では、どこかにあったものを真似たのだそうです。オリジナルを知りたいものです。