漢字の分解の日本でいちばん古い例は『万葉集』に見られます。巻九(一七八七)の長歌の一節に「…毎見 恋者雖益 色二山上復有山者 一可知美…」とあります。「見るごとに 恋はまされど 色に出(い)でば 人知りぬべみ」と読みます。「山上復有山」は、山の上にまた山が有るのですから「出」の字となり、古語では「いづ」と読むことになります。『広辞苑』の編者の新村出博士の重山という号は、これによったものです。
これは日本人の発明ではありません。中国の六朝時代の恋愛詩を集めた詩集『玉台新詠』(一〇)に、
藁砧(かうちん)今何(いづく)にか在る(山上復有山)
藁砧は藁を打つ丸い石、丸い石を
ともいい、夫と同音。夫は今どこにいるのか。外に出ているのだ。
とあるのを、そのまま用いたのです。
『万葉集』に、仙人の形(絵)を詠んだ、
とこしへに夏冬行けや裘(かはごろも)扇放たぬ山に住む人(九・一六八二)
永遠に夏と冬が同時に進行するからか、毛皮の衣を着て扇を手放さない山に住む人。
という歌があります。「山に住む人」というのは「仙」を分解したものでしょうか。
小野篁(たかむら)(802−852)の漢詩の一節に、
物の色は自づから客の意(こころ)を傷ましむるに堪へたり 宜(むべ)なり愁の字を将(もち)て秋の心に作れること(和漢朗詠集・秋興・二二四)
見える物の色は旅人の心を傷ませる。愁の字が秋の心であるのはもっともだ。)
とあり、これを訳したような、
事ごとに悲しかりけりむべしこそ秋の心を愁へと言ひけれ(千載集・秋下・三五〇。藤原季通)
という平安後期の和歌もあります。
嵯峨天皇が小野篁に出した謎というものが、大江匡房(1041−1111)の話を藤原実兼が書き留めた『江談抄』(三)に出ています。
二冂口月八三 中とほせ(答)市中用小斗(市中に小斗を用ゐる)
木頭切月中破(木の頭切れて、月の中破る)(答)不用
などが分かりやすいものです。
『百人一首』にある
吹くからに秋の草木のしをるればむべ山風を嵐といふらむ(文屋康秀)
吹くとすぐに秋の草木がしおれるから、なるほどそれで山風を嵐といっているのだろう。
は『古今集』(秋下・二四九)に出ています。山風だから嵐です。延文二年(1357)に准勅撰となった連歌集『菟玖波集』の誹諧の部に、
風と嵐は名ぞ変はりける
上にただ山の見えたるばかりにて(敬心法師)
という、「むべ山風を」を踏まえたような付け合いがあります。
『古今集』には同じような例がもう一首あります。
雪降れば木ごとに花ぞ咲きにける
いづれを梅と分きて折らまし(冬・三三七。紀友則)
雪が降ったらどの木にも花が咲いた。どれを梅と区別して折ろう。
これも木毎だから梅となるわけです。
字訓詩という文字遊びの漢詩が、『本朝文粋』(一)に二首載っています。菅原真友の嘉祥元年(848)の作を引きます。
禾失曾知秩(禾は失せて曾(すなは)ち秩を知る)
中心豈忘忠(中心豈(あ)に忠を忘れむや)
里魚穿浪鯉(里魚は浪を穿つ鯉)
江鳥度秋鴻(江鳥は秋を度(わた)る鴻)
火盡仍為燼(火は尽きて仍(すなは)ち燼(もえくひ)と為(な)り)
山高自作嵩(山は高くして自(おのづか)らに嵩と作(な)る)
色糸辞不絶(色糸の辞は絶えず)
凡虫泣寒風(凡虫は寒風に泣く)
第一行の初めの二字「禾失」を合わせると最後の「秩」になるというように、各行とも初めの二字で最後の一字になります。「禾(いね)がなくなった時に俸給を受けていたことを知る。心中でどうして主君への忠義を忘れようか…」という意味ですが、こういう詩の意味をきちんと理解するのは無駄なことでしょう。