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2002年6月24日公開

  竹屋が焼けた
  ダンスが済んだ
  わたし負けましたわ

などのように、上から読んでも下から読んでも同じになる文句を回文と言います。もっと短い単語では、シンブンシ(新聞紙)、ヤオヤ(八百屋)などがそうです。
三十年以上も前のことですが、修学旅行の引率で関西へ行った時に、観光バスのガイドさんが、途中の慰みに、「人のからだの中で、上から読んでも下から読んでも同じになるものは何。」と質問しました。たぶんミミと答えるのを期待したのでしょう。それをずらしてやろうと、わたくしがメと言ったものだから、生徒たちはそれに乗って、テだのイだの、最後にはヘまで出てきて、ガイドさんは、笑いが止まらず、収拾がつかなくなってしまったことがあります。

昭和二年に出た「小学生文庫」というシリーズの一冊『面白文庫』に、

  よく利くよ
  縄の罠
  足しました
  皆花見
  色白い
  安い椅子屋
  那須野の砂
  悲しい品か
  烏賊食べたかい
  確かに貸した
  妻堤を見つつ待つ
  長崎屋の焼き魚
  悪い鉄柵が腐っているわ

などの回文が載っています。

  冬の夕(ゆふ)
  塀のあるあの家(いへ)
  失せましたいかが致しませう

は歴史的仮名遣いでないと回文にはなりません。昭和初期の少年少女の読み物や雑誌には、こんなお楽しみコラムがよく載っていました。

天明五年(一七八五)に出た唐来三和作の『莫切自根金生木』という黄表紙があります。漢字の字面はむずかしそうですが、「きるなのねからかねのなるき」という回文の題名です。

これは題名だけですが、泡坂妻夫氏の『喜劇悲奇劇』(昭和五十七年)は、ウコン号というショウボートの中で連続殺人が起こるミステリーです。題も舞台設定も回文なら、登場人物の芸名も、たんこぶ権太、森まりもなど回文、各章は「1 豪雨後」から「18 大敵が来ていた」まですべて回文、序章と終章は「今しも喜劇」「奇劇も仕舞い」で合わせて回文、書き出しの一文は「台風とうとう吹いた」、最後の一文は「わたしまた、とっさにさっと欺(だま)したわ」、文中にもしばしば回文が見られるという凝ったものです。マジシァンでもある泡坂氏には、ストーリーとは関係のない仕掛けがある作品がいくつもあります。これもその一つです。泡坂氏には、『意外な遺骸』(昭和五十四年)という短編もあります。

佐野洋氏の『盗まれた嘘』(昭和五十三−四年)というミステリーでは、丹下玄太と小並木美奈子というカップルが主人公です。岡嶋二人氏の短編集『三度目ならばABC』(昭和五十九年)では、「この人の名前、愉快でしょ? 織田貞夫っていうんです。上から読んでも、おださだお、下から読んでも、おださだお、あたしは土佐美郷、やっぱり、上から読んでも、とさみさと、下から読んでも、とさみさと、ね」という二人が探偵役で、「山本山コンビ」と呼ばれます。この二人は長編『とってもカルディア』(昭和六十年)にも登場します。山本山コンビというのは、海苔店のコマーシャルから取ったもの、こちらは漢字で回文です。三笑亭笑三、三遊亭遊三という落語家の名もそうです。

奥山真由子さんという知人がいます。仮名で書いても回文にはなりませんが、OKUYAMAMAYUKOとローマ字で書くと回文になります。これは親御さんが意図して付けた名だそうです。ローマ字は単音文字ですから、声に出して言ったのを録音して逆回しすると、オクヤママユコと聞こえます。地名の赤坂もこれと同じになります。先の泡坂氏の『喜劇悲奇劇』にも、岡津唄子(OKATUUTAKO)、ノーム・レモン(NOME LEMON)という人物が出てきます。

外国にも同じような遊びがあり、英語ではpalindromeと言います。

  Able was I ere I saw Elba.

エルバ島を見る前は私は有能であった。ナポレオンが晩年に過去を回想したことばというものです。エルバ島はイタリアの海岸にあり、ナポレオンが戦いに敗れて最初に流された所です。よくできていますが、フランスのナポレオンが英語で回想するはずはないでしょう。

  Madam,I'm Adam.

奥様、私はアダムです。アダムというのは単なる男の名前と思っていましたが、エデンの園でイブに言った言葉としたほうがおもしろいように思います。

ヨーロッパの教会の聖水盤の側面に、ギリシァ語で「わが顔のみならずわが罪を洗え」という意の NIψONANOMHMATAMHMONANOψIN と記してあるものが多いということです。

中国文学にもこのような詩があります。梁の簡文帝(503−551)の作という「詠雪(雪を詠む)」という詩は、

塩飛乱蝶舞、花落飄粉匳、匳粉飄落花、舞蝶乱飛塩
(雪をたとえると、塩が飛んで乱れる蝶が舞い、花が落ちておしろい箱にただよい、箱のおしろいは落花にただよい、舞う蝶が乱れて塩を飛ばす。)

というもの。中国には古くからこんな遊びがあったのです。日本の回文の歌も、そういう中国文学の影響を受けているのかもしれません。

なお中国で回文詩というのは、逆に読むと全く別の詩になるものを言うのが普通です。

第1回「回文」
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