第1回 三代の辞書への情熱
第2回 「大日本国語」から「日国」へ
第3回 「日国」初版の編集作業
第4回 100年の継続…「日国」第二版へ

倉島

話を進めますけれども、『日本国語大辞典』第二版の最初の編集委員会は平成二年にスタートしました。やがて社長となる相賀昌宏氏も出席されて、そのときに、新鋭の現在の編集委員の方に集まっていただいたわけですけれども、当然のように松井先生には、その中心の編集委員としておさまっていただいたわけです。そのとき、初版にひき続いて、林大先生に加わっていただいたのはよかったですね。

松井

そうですよ。

倉島

お二人が前の編集委員会を継承して、今度の改訂編集委員とともに、第二版の編集を本格的に進めていただくことになったわけです。

私が『大日本』から『日本国語大辞典』に流れる中で、一つ、どうしても語っておきたいのは、漢籍例のことなんです。漢籍例というのは、簡治先生がいろいろ勉強なさって、国文だけじゃなくて、さっき英文ということもありましたけれども、ドイツ語もおやりになったかもしれませんが、漢籍にも非常に詳しかったですね。『大日本国語辞典』の中に漢籍例が入ったというのは、やっぱり簡治先生の幅広い教養があってはじめて実現したことだと思うんですね。その貴重な要素というのは、『日本国語大辞典』も受け継ぎまして、それで漢籍にあるかないかというチェックをしました。これも『大日本』があればのことでした。

そして、それは第二版でもやっぱり増補しましたですよね。この漢籍例を脈々と流れるもとを言えば、『大日本』の漢籍例であり、簡治先生の漢籍の素養だろうと思うんですね。この一点からしても、『大日本』の恩恵というのは大きかったと私はつくづく思うわけです。で、最初に『大日本国語』あっての『日本国語』であり、また、その第二版であるということを申し上げたわけです。

この道のりをちょっと振り返って、何かご感想がありましたらお願いします。

松井

ちょっと一つ、心残りなのは、私の祖父が生きている間、ちょうど戦争末期になるわけですが、私は高等学校の理科に行っていたわけです。理科の二年になって終戦になって、それで文科に変わったわけですね。

理科に行ったのは、父親が、理科は徴兵が延長されるから、さしあたり理科に行っておいたほうがいいぞと。そのほうが生きる可能性があるということだったと思うんですが、そうあからさまには言いませんでしたけれども。それで、僕はもともと文科に行きたかったんですけれども、やむを得ず、理科に行ったわけですね。

それで、祖父が足尾に疎開していて、父の姉に漏らしたところによると、「孫の中で、自分の跡を継いでやってくれそうなのはいないんだね」というふうに寂しそうに語っていたということを後で聞きまして、いや、それならもうちょっと早くね。だって、戦後、理科から文科に転科したのは、祖父が亡くなった次の年なんですよ。だから、文科に変わったということでもわかってもらったり、あるいはできれば、その後、大学の国文に入ったというのを知ってから死んでもらいたかったなと、ちょっと思いますね。それが一番心残りですね。まあ、結果的に跡を継いだんですけれども、生きている間に、よかったなと思われなかったのが残念だという気がどうもしますね。

倉島

欲張っていえば、『日国』が始まるところもね。

松井

ちょっと、そこまでは無理でしょうけれどもね。


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