第1回 三代の辞書への情熱
第2回 「大日本国語」から「日国」へ
第3回 「日国」初版の編集作業
第4回 100年の継続…「日国」第二版へ

倉島

いよいよ『大日本国語辞典』から『日本国語大辞典』へなんですけれども、先ほどの話では、三十五年六月に最初の話し合いがあったようですけれども、その後、四、五人の方に準備委員会をつくっていただいて。

松井

それが三十六年八月十七日です。最初に中村通夫先生、林大先生、三谷栄一先生、山田巖先生ですね。

倉島

そうですね。で、松井先生がお入りになって五人ですね。その五人――私は準備委員会と言っていたんですけれども、その方々がいろいろ設計をしてくださって、正式に発足したのが昭和三十九年で、このときに編集顧問、編集委員を委嘱して、第一回の編集会議を開いたということでしたね。

松井

そうです。

倉島

そこまでの間に、小学館の先代の相賀徹夫社長は、よく決断なさいましたね。

松井

そうですよね。ただ、最初は『大日本国語辞典』がもとにあるから、それに増補カードを加えて、まあ、ちょっと手直しすれば、という程度のお考えだったようなんですが。

倉島

そこをうち割って言っちゃえば、冨山房が承知さえすれば、『大日本』の改訂版でもいいやぐらいのことはありましたね。だけれども、それはちょっと話は別になりましてね。

松井

それは、いつだったかな、「冨山房に行って話をしてくれ」と言われたんですよ。で、僕は行ったんです。そうしたら、冨山房側は「『大日本国語辞典』というのがあるのに、「『大日本国語辞典』の改訂みたいなのは困るんじゃない?」と言うんですよ。「けれども、それとは別に大きいのをやるんなら、それはどうぞ、ご自由に」と。こういう話でしたね。ということは、大きいのは、あっちはやる気はないということでしたね。


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